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2016.02.20
ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎

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明治維新後、西欧列強に追いつこうとする日本。当時ロシアもまたその版図を広げようとしていた。そして日露は開戦を迎えることになるのだが。時の外務大臣小村寿太郎は、国力を分析し、五分五分か六分四分に戦況を持ち込み、何とか終戦を考えていた。興味惹かれることは、当時の日本の指導者のほぼ全てが、戦争を始める前かたらその終結策を考えていたことである。全面戦争をしてもロシアに勝てるだけの国力は日本にはなかったのだ。また、アメリカ合衆国大統領とハーバード大学で同期の金子堅太郎を米国に派遣し、ロビー活動を展開させる。アメリカは世論の国であることを知悉した有効な判断である。一方ロシアには、陸軍大佐明石元二郎を送り込み、帝政ロシアに不満を持つ革命家と接触させる。奉天会戦、日本海海戦の圧倒的勝利によって、各国の首脳がロシア皇帝ニコライ2世に講和を進言する。当初は講和を渋ったニコライ2世であったが、ロシアの国内事情もいつ革命が起きてもおかしくない状況に追い込まれていた。米国のポーツマスで講和会議が開催されることとなり、首席全権に親任された小村は、どこで講和の妥協点を見出すかに苦慮する。何とか日本に有利な交渉を妥結した小村であったが、戦勝に酔いしれ日本にこれ以上の余力がないことを知らない国民は、弱腰外交だと小村を非難し、日比谷焼き討ち事件を起こし、小村の自宅も焼かれた。出発の時は多くの国民に見送られた小村であったが、帰国時には暗殺の危険があった。出迎えは伊藤博文首相らごく数名。それでも彼は日本の代表として、恥ずかしくない、否、見事な交渉を自身の命を削ってやってのけたのである。後年、国際連盟を脱退した松岡洋介は、万雷の拍手に迎えられて帰国した。しかし、全てが歴史となった現在、外交官としての評価は逆転していることに誰も異議は唱えないであろう。人間の評価はその人の死後に定まることが多い。国家の大事を担う為政者の在り方を深く考えさせる良書として、是非一読をお勧めする。